増六の和音
約 17 分
この節のねらい
属音を上と下から半音で挟む和音です。イタリア・フランス・ドイツの3種の違いと、なぜ減7度ではなく増6度と綴らなければならないのかを扱います。
- 増六の和音を「♭6と♯4が増6度を成し、属音へ外向きに解決する和音」として定義できる
- イタリア・フランス・ドイツの3種の構成音の違いを挙げられる
- 減7度ではなく増6度と綴る理由を、解決の方向から説明できる
- ドイツの増六を属和音へ直行させると平行5度が生じることと、その回避法を説明できる
前の節のナポリの和音は、主音の半音上から降りてくる和音でした。この節の和音は、狙う先が主音ではなく属音です。しかも上下の両方から半音で挟み込みます。
増6度の枠
増六の和音の核は、たった2つの音です。
- ♭6 — 属音の半音上
- ♯4 — 属音の半音下
ハ調(長短どちらでも)なら Ab と F#。属音の G を上下から半音で挟んでいます。
この2音の音程を数えてみてください。A から F まで文字は6つぶん、半音数は10。長6度は9半音なので、それより1半音広い増6度です。和音の名前はここから来ています。
図1が増六の和音のすべてです。2音が反対方向へ半音ずつ開いて、属音のオクターブに着地する。残りの構成音は、この枠に何を詰めるかの違いにすぎません。
3種類 — 詰め物の違い
枠に加える音によって3つに分かれます。国名が付いていますが、実際の地域との結び付きは薄く、単なる慣用の呼び名です。
| 種類 | 構成音(ハ調) | 枠に加える音 | 声部数 |
|---|---|---|---|
| イタリアの増六(It6) | Ab C F# | 主音のみ | 3 |
| フランスの増六(Fr6) | Ab C D F# | 主音と第2音 | 4 |
| ドイツの増六(Ger6) | Ab C Eb F# | 主音と♭3 | 4 |
イタリアは3声なので、4声体で書くときは主音の C を重複させます。枠の2音(Ab と F#)はどちらも解決先が決まった音なので、重複させると必ず平行が生じます。重複してよいのは C だけです。
増六3種を聴き比べる
確認: どれも同じ Ab と F# の枠を持ち、同じ属和音へ着地します。イタリアは3声なので響きが薄く、枠の緊張がむき出しに聴こえます。フランスは D が加わって全音音階のような浮き方をします。ドイツは Eb が加わり、属七とほとんど同じ厚みになります。解決の瞬間に外側の2声が反対方向へ開くのは3種とも共通です。
Ab C F# → G
確認
イ短調のドイツの増六(Ger6)の構成音はどれですか。
なぜ「減7度」と書いてはいけないのか
Ab と F#。鍵盤の上ではこれは Ab と Gb(減7度)と同じ2つの鍵です。音は完全に同じです。
それでも綴りを変えてはいけません。理由は記譜が解決の方向を示しているからです。
| 音程 | 解決の方向 |
|---|---|
| 増音程 | 外側へ広がる |
| 減音程 | 内側へ狭まる |
Ab と F# を増6度と読めば、外へ開いて G のオクターブへ。Ab と Gb を減7度と読めば、内へ閉じて別の音へ。同じ2つの鍵でも、綴りが動く先を決めています。
これは U0 で異名同音を扱ったときの主張の、最も明確な回収です。五線譜は音の高さだけでなく、その音が次にどこへ行くかまで書いている。ピッチクラスだけで音楽を記述すると、この情報が丸ごと失われます。
確認
Ab と Gb(減7度)と綴った和音を、増六の和音として扱えないのはなぜですか。
ドイツの増六だけが持つ問題
ドイツの増六は Ab C Eb F#。半音数だけを見ると、これは Ab7(Ab C Eb Gb)とまったく同じです。属七と同じ厚みを持つので響きが豊かで、3種の中で最もよく使われます。
ところがこの豊かさが問題を生みます。属和音へ直接進めると平行5度になるのです。
バスの Ab とアルトの Eb は完全5度。両者が下へ動いて G と D になると、また完全5度です。同じ向きに動いて完全5度が続くので、U5 で扱った平行5度そのものです。イタリアには Eb が無く、フランスには Eb の代わりに D があるので、この問題はドイツにだけ起きます。
回避策はあいだに主和音の第2転回を挟むことです。
図4では Eb が2つの和音にまたがって動きません。平行5度は「両方の声部が動く」ことが条件なので、片方が止まれば成立しません。バスは Ab から G へ半音下がり、ソプラノの F# は G へ半音上がって枠が解決し、そのあと i64 が V へ解けます。
カデンツの6-4がここでも同じ働きをしています。U4 で「主和音の第2転回は属和音の飾りである」と扱ったことが、ここで別の角度から回収されました。
ドイツの増六の2つの進み方
確認: 1つめは属和音へ直行します。響きとしては通りますが、内声で5度が並行して動くので古典和声では避けられる形です。2つめは主和音の第2転回を経由します。Eb が動かないまま次の和音へ受け渡され、そこから改めて属和音へ解けます。着地までの時間が延びるぶん、解決したときの手応えが強くなります。
Ger6 → V → i
3つの半音階的和音の位置関係
U8 でここまでに扱った和音を、属音との関係で並べ直すと構造が見えます。
| 和音 | 属音への関わり方 |
|---|---|
| 副属和音(V7/V) | 属音を一時的な主音とみなして、その導音から半音上行で近づく |
| ナポリの和音(N6) | 主音の半音上から、属和音を経由して主音へ降りる |
| 増六の和音 | 属音を上下から半音で挟み、両側から同時に収束する |
どれも半音の引力を使っています。半音階的和声とは、要するに「導音的な半音を、導音以外の場所にも作る技術」です。
コード検索で Ab7 を鳴らして響きを確かめる ドイツの増六と同じ響きです。ただし綴りは Ab C Eb Gb で、増六の Ab C Eb F# とは第4音の書き方が違います。同じ音でも綴りが違えば行き先が違うことを、耳と目の両方で確かめてください コード検索 →同じ響きが2通りに読める、という性質はここでは問題でしたが、これを意図的に利用すると別の技法になります。次の節で扱う転調です。
練習問題
答えは理論エンジンで検算しています。まず自分で解いてから採点してください。
- 1
ハ短調のイタリアの増六(It6)の構成音はどれですか。
- 2
増六の和音の枠を成す2音(♭6と♯4)は、どの音程を作りますか。
- 3
ハ短調で、ドイツの増六を属和音へ直接進めた次の4声体には、どんな禁則が生じますか。ソプラノから順に C5 Eb4 F#3 Ab2 が B4 D4 G3 G2 へ進みます。
- 4
フランスの増六がドイツの増六より属和音へ進めやすいのはなぜですか。
- 5
この和音を「減7度」ではなく「増6度」と綴らなければならないのはなぜですか。
到達確認
次に進む前に、上の項目を自分の言葉で説明できるか確かめてください。